静岡(大浜),JAPAN

1年前に亡くなった祖母の家の片付けは、いよいよ大詰めを迎えていた。埃まみれになりながら、ゴミを指定の場所に置きにいった帰り、突然ふとどうしても海が見たくなって、バスに飛び乗った。間に合え、日の入り!

 
静岡駅からバスで約30分。駿河湾をのぞむ大浜という海岸にわたしは来ていた。昔、おじが住んでいて、よく遊びに来た。わたしの夏の思い出が詰まっている。
 
おじが亡くなってから5年が経つ。彼はどうしようもない人だった。ギャンブルとお酒をこよなく愛し、定職にもあまりつかずふらふらと根無し草のような暮らしをしていた。奥さんは心労のせいか早くに亡くなってしまい、子供はいなかった。詳しくは知らないけれど借金もあり、親類である祖母や母は叔父には手を焼いていた。だけど子供がいなかった分、わたしはとってもおじには可愛がってもらった。ダメ人間だなぁと分かっていたけど、わたしはおじが大好きだった。祖母も両親もおじの家に遊びに行くのはいい顔をしなかったが、押し切ってまでわたしは遊びに行っていた。
 
夏になると、朝早くおじのアパートがある大浜へ。昼間は市営プールで思いっきり遊び、夕方は小さなゲームセンターで二人で格闘ゲームをやりまくった。夜になれば近くの中華料理に行ってたらふく食べて、夜布団の上で花札を教わった。二人で原付に乗り雀荘に遊びに行ったこともある。おじに輪をかけてダメな人間が集結していたが、みんなウィットにとんだ面白いおじさんで一緒に遊んでもらった。近くに大判焼きのお店があり、おじさん達によく買ってもらって、雀荘の薄っぺらい座布団の上で食べたのを思い出す。スモークが焚かれてるのかと錯覚するほどタバコで煙い空間だったけど、不思議と嫌には感じていなかった。
 
私は静岡の中でも郊外のニュータウン生まれなので、綺麗な新築の住宅街、インフラの整ったいわゆるモデル都市で育った。大企業や病院の社宅があったこともあって比較的裕福な家庭が多く、友達は皆穏やかでいい子達だった。今となっては子供が育つには最適の環境だとわかるけど、小さな頃からわたしにとってはそれが酷くつまらなく、窮屈なものだと感じていた。おじとの遊びは非常にスリリングではあったけど、当時の閉塞したわたしの心に風穴を開けてくれていたのは事実だ。
 

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バスが大浜に近づくにつれ、違和感を感じざるを得なかった。かつて広大な田んぼだった部分は埋め立てられ、小綺麗な住宅が立ち並んでいた。オンボロだった橋は綺麗になり、おじと原付で走り回ったあの大浜の原風景はすっかり消えて無くなっていた。
 
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かつてはなかった、巨大な避難場所や、遠くに臨む風力発電。3.11の余波をこんなところにも発見できる。瀬戸内海のような穏やかさはなく、時に荒々しく水しぶきをあげる駿河湾。おだやかな気候の裏のこの激しさは、意外と静岡の県民性を写しているようにも感じる。
 

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強い潮風にも負けず、植物はぐんぐん育っていて頼もしい。

 

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そして、歩いていまはお休み中の市民プールへ。子供の頃は巨大に思えていたそれは、目を疑うほど小さな物だった。

 

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近くに見えた風力発電、あるけどあるけど近づかない。あまりに大きすぎて、距離感が全くわからない。

 

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おじの妻がなくなって数年後、おじは大浜からある団地へ引っ越した。そこは窓を開けると風がさあっと通り過ぎる気持ちのよい部屋だった。窓を開ける度、おじは「あいつは大浜の風が好きだったんだよ」とつぶやいていた。その顔は、いつもいつも寂しそうだった。おじには、大浜には思い出が詰まりすぎているのだ。それは、私も同じだ。

 

夏になったら、大浜は子供のにぎやかな騒ぎ声でいっぱいになる。いまはまだ風も冷たく静かだけど、耳を澄ませばあの喧噪が遠くに聞こえるような気がする。今度はまた夏に来よう。

東京,JAPAN day2

スカイツリーは、現代のバベルだと聞いたことがあるが、正しくその通りだと思う。川越しに見るそれはあまりに大きく、思わず目をこすってしまうほど。
 
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今朝はぐっすり眠れ、気持ちよく目を覚ました。オシャレなゲストハウス nuiを出ると、嬉しいほどの快晴。軽い足取りで地下鉄の駅へ向かう。
 
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まずは神保町へ向かい、古本探索。あまりに本が多いので、自粛自粛と言い聞かせながらも、音楽系の古本が充実してる古本屋で、私が生まれた年月の宝島を発見!原発特集というまた興味深いものだったので、思わず購入!
 
そのあと、私が愛してやまないおぎやはぎのめがねびいき(TBS JUNK)で、絶賛されていた”ボンディ”というカレー屋へ。ビルの裏に入り口がありわかりづらいので要注意。昭和の懐かしい雰囲気の内装で、中には父親くらいの年齢の人がズラリとならんでカレーを食べている。ああ、もう美味しそう。無類のチキン好きなのでチキンカレーをオーダー。
 
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まずはじめにバターのかかった蒸かしたジャガイモが出された。何だろうと思いながらも美味しくいただいていると、間も無くライスとカレーが!あらかじめライスにはこんもりチーズがかかっている。カレーのお皿からは溢れんばかりの巨大チキンがゴロゴロ!驚きの連続のまま、一口食べる。うん!とてもまろやかかつ濃厚で美味しい!チーズライスととても相性が良く、気がついたらペロリと完食していた。お御馳走様でした。
 
またもや早食いが炸裂してしまい、まだ12時過ぎ。次の予定まで少し時間が空いてしまったので、足を伸ばして神楽坂まで。
 
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オタクにはわかるこの場所…。笑 王様のブランチで、shineeという韓国のアイドルが行っていたおしゃれスムージー屋さんAOYA。めちゃくちゃ美味しかったです。パックなのが持ち歩けて嬉しい。神楽坂は初めて足を踏み入れたけど、歩けば美味しそうなお店がゴロゴロしててよだれが垂れそうだった。夜は高そうだから、ランチにやってきたい。
 
そして原宿へ。ずーっとずーっと欲しかったアレキサンダーワンの長財布をゲット。長年お仕事頑張った自分へのご褒美として手が震えながら購入。長く大事にしたい。
 
表参道をぶらぶらした後、ラフォーレの”RUDE BOY展”へ。
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UKのトラディショナルなスーツを、抜群のセンスで着崩したり重ね着したり、唯一無二の形に変形させる人々をRUDE BOYと言うらしい。タケオキクチの2015AWのテーマがまさにRUDEBOYだったので、ラフォーレとタイアップして展示が行われたとのこと。めちゃめちゃカッコよかった。展示の仕方も創意工夫が散りばめられていて、とってもクールだった。
 
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入り口にはRUDEBOYのテキストを使ったミニも。これはハセガワシンペイさんのツイッター(@shinpe_pp)でお見かけしてたのでビックリした。(おそらく)同郷の世界に羽ばたくデザイナーさんなので、陰ながらめちゃめちゃ応援してます。
 
そのあと、ぶらぶらと歩きながら恵比寿へ。お遍路ではど田舎のめちゃめちゃな距離を歩いたので、景色がコロコロかわる都心なんて、数駅分などへっちゃらになった。その後、大学の友達と合流してサムギョプサルのとんちゃんへ。
 
ガッチリとしたお兄さんがテキパキとサムギョプサルの準備をしてくれている中、久々の友人とこの会わない間何があったかまくしたてるように喋った。豚肉は油を落とせばさっぱりしていてとても美味しい。たくさんの付け合せとお肉で、ビールの進むこと!
 
やはり、わたしは人と食べるご飯は美味しいなあと実感していた。友達は社会人入学してきた、ひと回り上のお姉さんなのだけど、彼女は私にいろんな大人な景色を見せてくれたし、経験もさせてもらった。とっても頭の回転が速くてクールな彼女と話をしていると刺激になる部分が多い。できればずっと仲良くしてもらいたい友人の一人だ。
 
お腹いっぱいのまま、夜行バスに乗り込んだ。まさかの普通バス(普通夜行バスは二階建てのガッチリしたシートが多い)でとてもげんなりしてしまったが、買い物をたくさんしてホクホクの女子高生が車内にいっぱいいてとても可愛かったので、思わず笑みがこぼれてしまった。興奮冷めやらぬ彼女たちのヒソヒソ声をBGMに、ゆっくりと遠ざかる東京タワーを横目で眺めていた。とてもいい旅だった。

東京,JAPAN day1

朝目覚めた瞬間、嫌な予感がした。恐る恐る時計を見ると、とっくに高速バスが出発する時間だった。

 
東京で会う予定だった友人に謝り倒し、一本後のバスで向かうことに。ああ、CDアルバム一枚買えちゃう…。しかし、朝遅かったおかげで穏やかな出発になったので、これはこれで良かったと言い聞かせる。もう、自分を必要以上に責めるのはやめたのだ。それより、ゆとりある時間の中で有意義に時間を使う方ががよっぽどいい。
 
忙しい時読めなかったイスラムに関する本を読む。たっぷり寝たおかげで、しっかりと内容が頭に入ってきた。

 

 

 

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

 

 

 

 

 
残虐の限りを尽くすISISの人たちが、何を目指して何を理想としているのか知らなくてはならない、と思う。わたしは仏教だから関係はないと心のどこかで思ってしまっていたけど、ISISの人たちは世界征服を望んでる、彼らが万が一望みを達成するのであれば無関係ではいられない。
 
新書を少し読み疲れたら、坂口安吾堕落論を読んだ。難しいイメージがあって避けてしまっていたけど、比較的平易な文章でスルスルと読めてしまった。所々にユーモアがちりばめられていて、とても面白い。
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バスは渋滞に捕まることもなく、定刻通り渋谷へ着いた。渋谷は相変わらずお祭りのように人が溢れている。供給過多な広告の海。井の頭線のホームからスクランブルを見下ろすと、鳥にでもなれた気持ちになる。
 
渋谷ハチ公近くで友人を待っていたら、おじいさんに話しかけられた。少し警戒してしまったが、ハチ公の本物は上野にいるから行ってみるといいと有益な情報をくれた。生まれも育ちも東京だというおじいさんは、ハイカラなシャツや帽子を召していて、とても素敵。こんな風に年をとりたいな。
 
高校時代の友人とは、1年ぶり。とっても美人な友達は、こんなにたくさんいる人の中でもキラキラ光っていた。少し歩いて、中心街の”JINNAN CAFE”へ。
 
おしゃべりは止まらなかった。仕事のこと、恋愛のこと、最近見た映画や読んだ本の話…おしゃれな東京のカフェで、二人して20代の女性の皮をかぶっているけど、話しているうちにどんどん気持ちが高校の頃に舞い戻ってしまった。娯楽が何にもない片田舎のミニストップで、二人とも紺色のブレザー制服のまま何時間でもはしゃいでいたあの頃。
 
久しぶりの再会では、数時間では全然足りなかった。帰り際、お仕事お疲れ様、と謎の袋をくれ、よく見たらテニスの王子様ミュージカルのパンフレットやらプロマイドやらだった。今日来れなかったもう一人の高校の友人と池袋で一緒に買ってくれたらしい。(私は昔凄まじい腐女子だったのだ…笑)思わず爆笑してしまったが、照れ屋な友人たちなりの”よく頑張ったね、お疲れ様”の声が聞こえて、思わず目頭が熱くなった。
 
そして、今回の東京旅行最大の目的である恵比寿へ。数年の沈黙を経て昨年最大傑作”out of blue”を生み出したAPOGEEのライブ!!
 
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写真お借りしました→apogeepoint
 
アルバムが名作中の名作だっただけに、ワクワクが止まらない。出だしは表題作の”out of blue”
 
あぁ、APOGEEが帰ってきたと涙が出そうだった。パッと聞きキラキラしていて眩しいくらいなのに、よくよく聞くとベースとドラムがものすごく自由かつしっかりビートを刻んでいて、程よい浮遊感。APOGEEはオシャレなのになぜか切なくも鋭くもあり、その絶妙なバランスがやみつきになる。いつも”ズルいなぁ…”というため息がなぜか出ちゃうんだけど、なぜか彼らには”ズルい”という言葉が似合う。それはもちろん、最上級の褒め言葉として。
 
やはり生で聞くと、いわゆるリズム隊の鼓動がズンと腹に来て、CDとはまた違った味わいが出る。”grayman”や”tonight”は、ロック寄りの曲なのでめちゃくちゃバンドアレンジがカッコよかった。”a boy in the river”は、勝手にすごく青いイメージがあった(riverという響きからかな?)んだけど、照明が真っ赤で意外だった。永野さんは夕暮れのイメージだったのかな?と勝手に想像する。
 
途中レオ今井さんが新曲をコラボ!とってもカッコよかった。APOGEEのビート感とラップってすごくいい化学反応!過去の名曲”ESCAPE”、鳥肌立つほど良かった…!
 
あぁ、全然感動した感想を書ききれないんだけど笑、もう本当に良かった。こんなにカッコいいもの見させてくれて本当にありがとう!APOGEE
 
その後、たまたま渋谷で照明の仕事をしていた幼馴染とタイ料理屋へ。一緒にドイツ行く約束してるので、旅話で盛り上がる盛り上がる!店員全員がタイ人だったのだけど、注文から何から何まで適当で思わず幼馴染と爆笑してしまった。ご飯はとても美味しかった。
 
その後蔵前のゲストハウスまで大移動し、就寝。外人がとても多く集まるオシャレなゲストハウスで、ちょっとだけ話したけども眠気の方が勝ってしまい就寝。もうちょっと余裕があったら色々話したかった。ここ最近、旅行に行っても一人でずっと寂しい就寝タイムだったので、遠くからくすくす笑いが聞こえて眠るのは、かえって心地よかった。

香川(高松),JAPAN day3

香川最終日の朝、私は平和すぎるドトールでコーヒーを啜っていた。今日は何をしようか考えながら、窓の外を見やる。もう止むことが無いように思われたあの二日間の土砂降りはどこへやら、3日目はどこまでも青い空が続いていた。雨が降るとどうも気持ちが塞ぎがちだったが、こうも暖かく春の陽気を感じると、元来の楽観的な私が蘇ってくるような実感があった。

 
軽い足取りでフェリー乗り場へ向かう。小豆島までの切符を買っていると、乗り場のお姉さんに”今ならまだ間に合います!急いで!”と急かされた。訳がわからないまま言われた通りフェリーに近づくと、チケットもぎの警備員さんに”早く!!”と背中を押されフェリーに飛び乗る。すぐさまモーター音がし機体が揺れだした。焦って展望室まで階段を駆け上がると、さっきまでいたチケット売り場がみるみる小さくなっていく。チケットもぎの警備員さんは笑顔で手を振っていた。あまりにびっくりしたけど、なんだか映画の主人公になったみたい!
 

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私は生まれも育ちも静岡なので、海といえば太平洋の深いコバルトブルー。海の向こうはただ水平線が見えるのが私にとって”普通の海”だった。
 
だけど、瀬戸内海はどうだろう。海は水墨画のような淡い紺。海の向こうには数々の島が無数に見える。海のすぐ向こうに島!変な気持ちだった。日本昔話とか、日本神話みたいな、すこし神々しさすら感じる。金毘羅さんの頂上でも思った”遠くまで来てしまったなぁ…”というワクワクと切なさがないまぜになったような気持ちが胸をよぎる。
 
離れ行く四国を見ていたら、妙な山を発見する。スパーンと頭を切り落とされたような変な形。あ!これが屋島か!昨日街を歩いていたらおじいさんにおせんべいをお接待で頂いたのだけど、その時”屋島には行った?”と聞かれたんだった。その名の通り屋根みたいな妙な形。栗林公園からとんがり帽子みたいな山を見たのもビックリしたけど、この屋島はもっと変な形だなぁ。
 

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”すごい山ですよね、あれ”
パッと横を見ると、上品そうな50代くらいの女性に話しかけられた。旦那さんと小旅行に来ているらしい。旦那さんはせわしなく展望室を子供のように走り回っては、小さなデジカメで景色を収めていた。旦那さんからデジカメを託され、2人の写真を撮る。二人ともとてもいい笑顔で、胸がじんわり暖かくなった。
 
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▲ご夫妻がとってくれた私と屋島
 
小豆島に到着すると、時間の流れ方が本土よりさらにスローなのを実感する。ぼおっとバス停でバスを待っていると、24の瞳の銅像があり、ここが舞台なことを知る。私はいま浜松に住んでいるのだけど、散歩コースに”木下恵介(日本映画の監督で、代表作が24の瞳)記念館”があり、よく中に入って休んでは24の瞳のポスターを眺めていたので意外な共通点にビックリ!
 
20分ほどバスに乗り、オリーブ公園へ。ちょっとビックリするくらい急勾配の坂を登る最中、周囲にはオリーブの木だらけに!淡くて、すべすべしたような木肌のオリーブの木はとても美しい。いつか庭を持つことができたら、ぜひ植えたいなと思った。
 

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平日ということもあり、園内には人がまばら。ゆっくりと回れてよかった。映画版”魔女の宅急便”のロケ地だったこともあって、まるで外国のお庭のような景色が続く。柔らかな海風に、美しい花々がなびいていた。有名な風車の横に腰を下ろすと、目下いっぱいに瀬戸内海が飛び込んでくる。あぁ、やはり瀬戸内海は本当に素晴らしい。なぜか日本の起原を感じるような、神々しさ。いつまでも、いつまでも見ていられるような気がする。
 

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オリーブ園を出たら、しばらく港までゆっくり歩いてみた。海沿いなのに風は柔らかく、すれ違う人は皆挨拶をしてくれる。すると、今朝フェリーの屋上で出会ったご夫妻とすれ違う。いいお天気ですね〜と言葉を交わし手を振って別れた。一人旅だけど、今回は本当に色々な人とお話ができて嬉しいな。
 

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ゆっくりと散歩をしていたら、17時過ぎになっていた。ちょうどいい時間のフェリーに乗れ、窓際の席でゆっくりと読みかけの新書を読む。あたたかな西日が優しく差し込む窓辺で、わたしはついうたた寝をしてしまった。とても気持ちはリラックスしていた。頭を預けた窓から伝わるわずかなエンジンによる震えが、かえって心地よかった。
 

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高松にもどり、地元のレストランでタコライスをいただきながら、この旅を思い返していた。急な思い立ちと衝動で、はるばる四国まで来てみたけど、この土地の人々はそんな行き当たりばったりの旅行者にとても優しく、あたたかなお接待を数え切れないほどしてくれた。お寺に向かい手を合わせ、自分を顧みながら弘法大師とのお遍路をし、何が自分にとって大事なのか、どうこれから生きていこうか考えることは、今の自分にはとてもとても大事な愛おしい時間だった。今回はたったの3箇所しか回れなかったけど、生涯かけて全て回りたいなと思った。
 
帰りの夜行バスは、”絶対瀬戸大橋渡る時を見よう!”と息巻いていたのにも関わらず、座った瞬間爆睡してしまい、気がついたら浜松だった。自分の神経の図太さには感服すら覚える。出発する時の不安げな顔の私はもういない。晴れやかな顔で、あと数日過ごす小さなアパートへと帰った。香川で経験したすばらしい体験は、私の心に大きな進歩をもたらしてくれた。
 
 

香川(高松),JAPAN day2

目覚めは良いものではなかった。昨日高速バスであまり熟睡できなかった分を取り返そうとする気持ちと、修業中なのだから怠けてはいけないという気持ちで葛藤しており、畳み掛けるスヌーズアラームの画面に、寝ぼけながらも睨みをきかす。そこでふと思い出した、今日朝ごはん予約してるんだった!

 
”すみませんが、8:30には出てもらいますからね!”
結局大寝坊をかまし、朝ごはんを予約した栗林公園の”花園亭”にあわてて駆け込むと、忙しそうな奥様にピシャリと言われてしまった。大丈夫、私は早食いには自信がある。
 
離れに案内され、戸を開くと息を飲んだ。栗林公園の美しい緑と池を望む素晴らしい茶室だった。傍にはささやかな梅が飾られており、古いけれど手入れの行き届いたこの部屋は、なんだかとても懐かしい気持ちになった。
 
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朝粥は、とても美味しかった。白身の照り焼きや、ほうれん草のおひたしなど、とても手の込んだ懐石料理で、朝ごはんにはもったいないくらいだった。朝粥はほのかに梅の味がし、とても綺麗な桜の塩漬けが乗っていて、春の味がした。
 
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奥様は、あまりに短時間でペロリと朝粥を食べ終えた私に驚いていた。お遍路頑張ってねと最後は励ましの言葉をいただき、花園亭を出ると、思わず笑ってしまうくらいの土砂降りだった。数年前までよく”香川は水不足で…”というニュースを聞いたのを思い出す。今年はその心配がなく、香川の人がおいしくうどんを食べられるといいなと祈った。
 
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それにしても、美しい公園だった。園内にゴミひとつ落ちておらず、細部に至るまで手入れが行き届いている。派手さはないが、心にしみる清潔感が園内に漂っていた。数々の美しい園芸もさることなが、はるか向こうに見える山々が雨による霧で霞んでいたのがとても美しかった。園内清掃の人によれば、”春霞”というそうだ。まるで日本画の世界。
 
およそ一年前、兼六園に行った時も大層感動したが、それを上回る感動があった。池に臨む茶室や、苔が美しい岩岩など、日本人独特のわびさびの世界があった。ある団体とすれ違った時、バシャバシャ写真を撮られてビックリしたが、どうやら中国人の観光団体らしい。そりゃ、菅笠に金剛杖はびっくりするだろう。にこやかにお辞儀すると、皆んな喜んで手を振ってくれた。
 
栗林公園は広く、朝ごはんを食べたばかりと思っていたらもう11時を回っていた。にわかにお腹がすいてきて、無性にうどんが食べたくなったので、今度は栗林公園から近い”竹清”へ。あんなに降っていた雨も少し止み、心なしか足取りも軽い。
 
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ここはゲソと玉子(!)の天ぷらが有名。入口には可愛らしく愛想のいい奥様が立っていて、天ぷらの数を聞かれた。もう、だいぶ慣れてきたぞ!気持ちにゆとりがある中、小さなテーブルで隣の人と肩を寄せあうようにして食べる。あっさりした讃岐うどんに、揚げたてサクサクの衣が本当に合う。玉子の天ぷらは食べたことのない食感なので、(ゆで卵ではないけど、グシャグシャの生卵でもない。本当にちょうどいい半熟でとても美味しい)食べたことない人はぜひ食べて欲しい。隣はとても美しいキャリアウーマン風の女性二人。”仕事で先日チュニジアに行ったんだけどあんなことになってビックリした”という話をとても興奮気味にしていて、初めてそこでチュニジアでテロが起こったことを知る。あまりに浮世離れしてる自分を反省し、明日は朝時間に余裕をもたせてニュースを見ようと思った。
 
さて、そこからすっかりお馴染みになった香川のローカル電車”ことでん”に乗り、長尾(昨日二つ目に行ったお寺)まで。そこからバスに乗り、88番の大窪寺へ。本当は歩かなければならないのだけど、昼出発だと夜帰ってこれるかわからないくらい遠いので、初心者ということに免じて許して欲しいと心の中で弘法大師に告げた。
 
バスの時間がよくわからないまま、バス停につくと、なんと出発は1時間後だった。長尾は静かな郊外のため、本当に住宅とガソリンスタンドとドラッグストアしかない。ドラッグストアに入ってみたものの、特に変わった印象は抱けず、バス停でひたすら走りゆく車を見ていた。次第に雨が降ってきて、あっという間に土砂降りに。急に温度も下がり、肩を震わせていると比較的早くバスが到着した。
 
”お客さーん、大窪寺だよ〜”
ふと目をさますと、一番後ろの席まで運転手さんが私を起こしに来てくれていた。慌てて体を起こすと、本当にもう到着していた!バスの中は絶妙な暖かさで、座った途端安心感から爆睡していまっていた…。実は大窪寺は終点ではないため、お客さんはまだまばらに乗っていたのだが、皆笑顔で行ってらっしゃいと言ってくれた。嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになりながら、バスを下車。目の前には、森の中にひっそり佇む88番 大窪寺
 
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山だからか、雨が突然土砂降りになったり、ケロリと止んだりと安定しない。なぜか晴れ晴れしく明るい雰囲気のする不思議な寺。それもそのはず、ここは四国お遍路の最終寺。私のように区切り打ち(決まった区間だけ歩く)ではない方にとっては、数ヶ月歩いた最終寺になる。バックパックを担いでる妙齢の男性たちは、みんな弾ける笑顔で階段を上がっていた。
 
寺自体はとても小さく、参拝や納経はすぐに終わってしまった。帰りのバスまでまだ1時間以上ある。周囲を散策したいところだが、なにせ土砂降りの雨だ。困った結果、2件あるお土産屋の一つに入り休ませてもらうことに。ここでもお接待でくず湯を頂いてしまった。しかし、今日は雨を眺めてばかりである。絶世の美女でもなんでもないが、気持ちはさながら小野小町(百人一首で”花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世に降る ながめせしまに”という雨を眺める句があるので…)だった。携帯の電池もあまりなく、ただひたすら大雨のしずくが軒から垂れるのを観察していた。こんな贅沢な時間の使い方は、久しぶりだった。また会社のことが頭をよぎり、心がチクチクしたが、目をぎゅっと閉じて忘れようと念じる。これじゃあまるで、私の方が会社に未練があるみたいじゃないか。
 
私の会社はいわゆるブラックで、毎日日付が変わってから帰る暮らしだった。精神病になる人が周囲で多発すると、自分もあれよあれよとそっちに気持ちが傾き始めた。毎日が灰色で塗りつぶされたような暮らしで、生きてるんだか死んでるんだかわからないような状態で仕事をしていた。
 
離れると、言葉にし難い自由が私の体のつま先から頭のてっぺんまで満たし、なんでもっと早くこうしなかったんだろうという気持ちが当然のように沸いた。だけど、あの灰色の暮らしの時は、あれが精一杯だったし、離れれば楽になることが分かった上でも、手放すのが惜しいほど仕事に誇りとプライドを持っていた。たとえ間違っていたとしても、その誇りとプライドは、簡単に否定できるほど軽く積み上げたものではない。だから、私は困難な状況をあえて選択している人には、簡単に逃げろとは言えない。その人なりの、人生をかけた決断がそこにあったりすることを、私は身をもって良く知ってるから。
 
瓦町に戻ってきたのは、7時過ぎだった。なんだか色々考えてしまって疲れたので、ふらりと近くの商店街の飲み屋に入り、香川名物”骨付き鳥”とビールを頂いた。疲れた体によく沁みて、その日もぐっすりと眠ることができた。
 
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香川(高松),JAPAN day1

バスから降りると、霧の中だった。

 

一瞬、本当に自分は起きていて、正しく高松で降りられたのか不安になるほど、夢の中のような濃い霧だった。雨というにはささやかすぎるミストの水滴が降り注いでおり、数十メートル先にある高層ビルは、根っこの部分しかまるで見えない。もし雲の上に立つことができたら、こんな景色なんだろうとふと思った。
 
時刻はまだ6時を回ったところで、駅もまだ寝ぼけたような出で立ちである。本当なら瀬戸内海と快晴が待ち構えているはずだったのに…海が見えるはずの方向は、真っ白な重たい空気が待ち構えており、私を焦らすように海を隠していた。1日目はお遍路しか予定がないので、トイレでお遍路道具一式を身につけた。まだ体にしっくり来ず、菅笠がなんとなく恥ずかしい。
 
お遍路の格好のまま、県庁近くの”さか枝”へ。ここは朝5時から(!)讃岐うどんが食べられるとのことで、ワクワクしながらことでんという相性のローカル線に乗る。イルカがモチーフの、可愛らしい電車だった。
 
さか枝ののれんをくぐり、にわかに焦りだした。讃岐うどんのシステムが全然わからない。赤い縁どりがされた短冊に達筆で”釜うどん””ぶっかけうどん”などが並んでいるが、うどん初心者マークの私には何が何うどんなのか皆目見当がつかない。(ちなみに蕎麦アレルギーなのでかけそば、もりそば…なども全然わからない。勉強します)なんとか聞き覚えのある”釜玉うどん”を注文。てんぷらは何個?と聞かれ、全品が同じ値段で、あらかじめ個数だけ申請しお金を払うシステムなことを咄嗟に理解した。
 
柔らかい食べ物が大好きな私は、事あるごとに”じゃあ讃岐うどんはあんまり好きじゃないかもね。あれはコシがあるから”と言われてきた。果たして本当なのかな?一口食べてその疑念は吹き飛んだ!確かにコシがあって、麺がキュッキュとしているけれども、さっぱりとしたお出汁とよく絡まって喉越し最高だった。私が自分で作るふやふやのうどんとはまた違った美味しさ。うどんという素材の多様性に感謝。
 
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うどんを食べ終わると、お店の奥さんが”若いのにお遍路、偉いわね!頑張ってね!”と笑顔で送り出してくれた。
 
 
うどんを食べた後は、隣の高松県庁へ。ここは日本建築界の巨匠、丹下健三設計!一目見ただけで丹下臭を感じる、このしつこいまでのミニマルデザイン。
 

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ふと顔を上げれば、天井も凝っていた。電球が格子状にハマるようデザインされている。さすがだ。家具は剣持勇さんのデザインとの事だけど、やはり空間に馴染みながらも重みのある形状で感動した。展示品の什器もバウハウスを彷彿させるような機能性をもたせた組み合わせになっていて素敵だった。
 

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丹下建築を堪能した後、やっとお遍路へ。ゆっくり回る予定なので今日は二つのお寺が目的である。まず、86番 志度寺へ。
 
志度駅を降りると、またもや黄泉の国のような濃霧に迎えられた。朝とは違い、すこし風も出てきており、Tシャツに白衣だけの私は肩を震わせた。暫く歩くと、寒さの原因が分かった。海が近いのだ。
 

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海沿いに金剛杖をつきながら歩く。途中、平賀源内博物館を通り過ぎた。歴史の知識に乏しい私は”確かエレキテルなんとかを発明した人だったような…”ぐらいしか思い出せなかった。10分も歩くと志度寺へ到着した。
 
志度寺は小ぶりながらも、立派な木門があったり、五重塔や青銅の鐘があったり、とバラエティーに富んだ寺だった。
 

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まずは手を清めていると、上品なご老人にお疲れ様ですと声を掛けられた。振り返るとご老人は私に手を合わせていた。四国お遍路は、修行しながら庶民に文化を広めていた弘法大師の道のりを辿るものだと言われており、お遍路グッズのあちこちに”同行二人”と書かれている。つまり、一人でいても心の中には弘法大師がいて、二人で修行の道を歩いているということだ。いわば、弘法大師の化身といってもいい。だから四国の人はお遍路の人に優しい。時にはこうやって手を合わせられたり、親切にしてもらったりし、それは”お接待”と呼ぶのだそうだ。
 
ご老人に”どこからいらっしゃったの?”と聞かれたので、静岡と答えるととても驚いていた。ご老人は体には気をつけて、と優しく告げて門の方へ向かっていった。
 
私は本堂へ向かい、納め札を納めた後、お経を詠んだ。普段詠まないので長く感じるが、聞いたことあるフレーズが出てくると、いつもお経をあげてくれていた祖母を思い出した。あちらの世界では宜しくやっているだろうか。
 
納経所へ向かい、納経してもらっている間、またもやお接待でお茶とお菓子を出してもらった。ありがたく頂戴し、飾られていた屏風を眺めていた。隣ではアジア系の外人が沢山お土産を買っていて、お坊さんとドバイの話を英語でしていたのが断片的に聞き取れた。お坊さんも、英語が出来ないといけないグローバル時代なのだなぁ。
 
無事納経をもらい、87番長尾寺へ徒歩で向かう。およそ8キロとのこと。高校の時のマラソンが同じ8キロだったので、余裕だと思っていたが違った。途中山を挟むのだった。
 
活気があるとは言い難いが、人の気配がわずかながらある寂れた道を行く。冬の終わりかけ、枯葉や枯れ木がいやに目につく、閉塞感のある田舎道。雨は止んでいたが、空気は重苦しいままである。
 
わたしは、ふと休職中の会社のことを思った。おそらく、また皆太陽とともに起き、日付が変わるまで働く暮らしをしているのだろう。そこから抜け出した罪悪感の水位が、心の中でせり上がってくるのを感じる。頭を振り払うように足を進ませる。途中、田んぼで土いじりをしているおじさんが気さくに挨拶してくれる度、暖かい香川ではもう割いている桜や菜の花を目にする度、正気に戻った。
 

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普段全く運動しないので、たかだか8キロでも永遠かと思えるくらい(終着が見えないのはいつだって長く感じる)歩くと大きな川にぶつかり、そこからは割とすぐ87番 長尾寺へたどり着いた。
 
長尾寺志度寺より小さく、コンパクトな寺だった。手を洗い、本堂でお参りをすませると、同じ菅笠の男性のご老人に写真を撮って欲しいと声かけられた。なんでも、孫に送りたいとのこと。男性はするするとわたしよりしなやかにiPhoneを操り、写真を孫に送っていた。岐阜県からお越しのご老人は、いわゆる逆打ち(88番から回ること。ご利益が三倍になるらしい)をしていて、6時間かけて歩き88番の寺からやってきたという。
 
ご老人は俳句を嗜むとのことで、小さなメモ帳をポケットから取り出し、いくつか詠んでくれた。小鳥の声や、山々の美しさを詠んだ句が多く、ご老人の感受性の豊かさに感服した。遍路は春の季語ということも教えてくれた。俳句を始めて12年だというが、まだまだ俳句界ではヒヨッコなのだという。とても素敵な趣味だと思った。ご老人とは納め札を交換し、手を振って門前で別れた。とても良い出会いだった。
 
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▲ご老人がとってくれた私。
 
ここで13時過ぎ。宿に戻るには早すぎる。一旦高松市へ戻り、すっかり虜になった讃岐うどん(こんどはうどん棒というお店。素敵なご婦人にご接待で500円いただいてしまった。ありがとうございました)を食べた後、讃岐金比羅へ。
 
雨脚は強まるばかりで、琴平に着く頃には土砂降りになっていた。カッパで電車に乗るのが嫌で傘できたが、金剛杖をつき、傘をさすと両手がいっぱいになり非常に歩きづらい。雨対策があまりに手薄だったことを後悔。
 
高松のうどん棒でご接待を受けたご婦人に”あら、金比羅行くの?途中で諦めちゃダメよ”と意味深に微笑まれたのだが、意味がわかった。信じられないほどの段差が続く。石階段は一段一段が小さく、うっかりすると踏み外しそうになる。振り返るのが怖いほど急勾配。リタイアする人が続々折り返してくる。怖い…でもご婦人に諦めちゃダメよと言われたんだ、頑張らねば。
 
ひたすら登り続けること30分。ようやく本堂へ到着した。雨はさらに激しさを増し、普段は絶景が望めるであろう展望所は、白く霞んだ森しか見えなかった。ただ、かえってそれが雲のように感じ、”遠くまで来てしまったなぁ”というある種の最果て感が身に迫る。
 
納経ができるとのことなのでお遍路用ではあるが、私の納経帳の最後のページに納経してもらった。”行きはよいよい帰りは怖い”とはよく言ったものだが、帰りはあっけないほど早く降りれてしまった。
 
凄まじいほどの残業をこなしていた頃は、精神的にヘトヘトなのに寝れない日が続きとてもしんどかった。今日も疲れてるけれど寝れないだろうと、風呂に入った後読みかけの小説に目を通したが、しばらくして顔に小説がばさっと落ちてきて目が覚めた。体が、もう寝たがっている。こんなに穏やかに入眠出来たのはいつ以来だろう?と泣きたくなるほど嬉しくなりながら、1日目は眠りについた。