香川(高松),JAPAN day2

目覚めは良いものではなかった。昨日高速バスであまり熟睡できなかった分を取り返そうとする気持ちと、修業中なのだから怠けてはいけないという気持ちで葛藤しており、畳み掛けるスヌーズアラームの画面に、寝ぼけながらも睨みをきかす。そこでふと思い出した、今日朝ごはん予約してるんだった!

 
”すみませんが、8:30には出てもらいますからね!”
結局大寝坊をかまし、朝ごはんを予約した栗林公園の”花園亭”にあわてて駆け込むと、忙しそうな奥様にピシャリと言われてしまった。大丈夫、私は早食いには自信がある。
 
離れに案内され、戸を開くと息を飲んだ。栗林公園の美しい緑と池を望む素晴らしい茶室だった。傍にはささやかな梅が飾られており、古いけれど手入れの行き届いたこの部屋は、なんだかとても懐かしい気持ちになった。
 
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朝粥は、とても美味しかった。白身の照り焼きや、ほうれん草のおひたしなど、とても手の込んだ懐石料理で、朝ごはんにはもったいないくらいだった。朝粥はほのかに梅の味がし、とても綺麗な桜の塩漬けが乗っていて、春の味がした。
 
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奥様は、あまりに短時間でペロリと朝粥を食べ終えた私に驚いていた。お遍路頑張ってねと最後は励ましの言葉をいただき、花園亭を出ると、思わず笑ってしまうくらいの土砂降りだった。数年前までよく”香川は水不足で…”というニュースを聞いたのを思い出す。今年はその心配がなく、香川の人がおいしくうどんを食べられるといいなと祈った。
 
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それにしても、美しい公園だった。園内にゴミひとつ落ちておらず、細部に至るまで手入れが行き届いている。派手さはないが、心にしみる清潔感が園内に漂っていた。数々の美しい園芸もさることなが、はるか向こうに見える山々が雨による霧で霞んでいたのがとても美しかった。園内清掃の人によれば、”春霞”というそうだ。まるで日本画の世界。
 
およそ一年前、兼六園に行った時も大層感動したが、それを上回る感動があった。池に臨む茶室や、苔が美しい岩岩など、日本人独特のわびさびの世界があった。ある団体とすれ違った時、バシャバシャ写真を撮られてビックリしたが、どうやら中国人の観光団体らしい。そりゃ、菅笠に金剛杖はびっくりするだろう。にこやかにお辞儀すると、皆んな喜んで手を振ってくれた。
 
栗林公園は広く、朝ごはんを食べたばかりと思っていたらもう11時を回っていた。にわかにお腹がすいてきて、無性にうどんが食べたくなったので、今度は栗林公園から近い”竹清”へ。あんなに降っていた雨も少し止み、心なしか足取りも軽い。
 
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ここはゲソと玉子(!)の天ぷらが有名。入口には可愛らしく愛想のいい奥様が立っていて、天ぷらの数を聞かれた。もう、だいぶ慣れてきたぞ!気持ちにゆとりがある中、小さなテーブルで隣の人と肩を寄せあうようにして食べる。あっさりした讃岐うどんに、揚げたてサクサクの衣が本当に合う。玉子の天ぷらは食べたことのない食感なので、(ゆで卵ではないけど、グシャグシャの生卵でもない。本当にちょうどいい半熟でとても美味しい)食べたことない人はぜひ食べて欲しい。隣はとても美しいキャリアウーマン風の女性二人。”仕事で先日チュニジアに行ったんだけどあんなことになってビックリした”という話をとても興奮気味にしていて、初めてそこでチュニジアでテロが起こったことを知る。あまりに浮世離れしてる自分を反省し、明日は朝時間に余裕をもたせてニュースを見ようと思った。
 
さて、そこからすっかりお馴染みになった香川のローカル電車”ことでん”に乗り、長尾(昨日二つ目に行ったお寺)まで。そこからバスに乗り、88番の大窪寺へ。本当は歩かなければならないのだけど、昼出発だと夜帰ってこれるかわからないくらい遠いので、初心者ということに免じて許して欲しいと心の中で弘法大師に告げた。
 
バスの時間がよくわからないまま、バス停につくと、なんと出発は1時間後だった。長尾は静かな郊外のため、本当に住宅とガソリンスタンドとドラッグストアしかない。ドラッグストアに入ってみたものの、特に変わった印象は抱けず、バス停でひたすら走りゆく車を見ていた。次第に雨が降ってきて、あっという間に土砂降りに。急に温度も下がり、肩を震わせていると比較的早くバスが到着した。
 
”お客さーん、大窪寺だよ〜”
ふと目をさますと、一番後ろの席まで運転手さんが私を起こしに来てくれていた。慌てて体を起こすと、本当にもう到着していた!バスの中は絶妙な暖かさで、座った途端安心感から爆睡していまっていた…。実は大窪寺は終点ではないため、お客さんはまだまばらに乗っていたのだが、皆笑顔で行ってらっしゃいと言ってくれた。嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになりながら、バスを下車。目の前には、森の中にひっそり佇む88番 大窪寺
 
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山だからか、雨が突然土砂降りになったり、ケロリと止んだりと安定しない。なぜか晴れ晴れしく明るい雰囲気のする不思議な寺。それもそのはず、ここは四国お遍路の最終寺。私のように区切り打ち(決まった区間だけ歩く)ではない方にとっては、数ヶ月歩いた最終寺になる。バックパックを担いでる妙齢の男性たちは、みんな弾ける笑顔で階段を上がっていた。
 
寺自体はとても小さく、参拝や納経はすぐに終わってしまった。帰りのバスまでまだ1時間以上ある。周囲を散策したいところだが、なにせ土砂降りの雨だ。困った結果、2件あるお土産屋の一つに入り休ませてもらうことに。ここでもお接待でくず湯を頂いてしまった。しかし、今日は雨を眺めてばかりである。絶世の美女でもなんでもないが、気持ちはさながら小野小町(百人一首で”花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世に降る ながめせしまに”という雨を眺める句があるので…)だった。携帯の電池もあまりなく、ただひたすら大雨のしずくが軒から垂れるのを観察していた。こんな贅沢な時間の使い方は、久しぶりだった。また会社のことが頭をよぎり、心がチクチクしたが、目をぎゅっと閉じて忘れようと念じる。これじゃあまるで、私の方が会社に未練があるみたいじゃないか。
 
私の会社はいわゆるブラックで、毎日日付が変わってから帰る暮らしだった。精神病になる人が周囲で多発すると、自分もあれよあれよとそっちに気持ちが傾き始めた。毎日が灰色で塗りつぶされたような暮らしで、生きてるんだか死んでるんだかわからないような状態で仕事をしていた。
 
離れると、言葉にし難い自由が私の体のつま先から頭のてっぺんまで満たし、なんでもっと早くこうしなかったんだろうという気持ちが当然のように沸いた。だけど、あの灰色の暮らしの時は、あれが精一杯だったし、離れれば楽になることが分かった上でも、手放すのが惜しいほど仕事に誇りとプライドを持っていた。たとえ間違っていたとしても、その誇りとプライドは、簡単に否定できるほど軽く積み上げたものではない。だから、私は困難な状況をあえて選択している人には、簡単に逃げろとは言えない。その人なりの、人生をかけた決断がそこにあったりすることを、私は身をもって良く知ってるから。
 
瓦町に戻ってきたのは、7時過ぎだった。なんだか色々考えてしまって疲れたので、ふらりと近くの商店街の飲み屋に入り、香川名物”骨付き鳥”とビールを頂いた。疲れた体によく沁みて、その日もぐっすりと眠ることができた。
 
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